प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

時代と思想

'15.10.07

たとえば。

浄土思想と言うものは、仏教学の枠内、とりわけ宗学の枠内で考えててもなかなか全体像は見えてこないんだろうな。
インド、中国、日本と浄土思想はあるけれど、とりわけ東アジアの浄土思想を考える場合、中国思想史や政治史、社会史の観点が必要になって来るのかも知れない。
つまり、排他的浄土教、一元的浄土教の隆盛した時期の唐代、その後の諸宗融和的な浄土教が勃興する宋~清代…宗教思想は机上のものではなくて、それを信じ実践する者の生活や社会情勢によってかなり変容する。
当然、その核は普遍・不変のところはあるけれど、具体の部分や言説の部分になると、そういう変容は当然。

にも関わらず、そういう観点をぶっ飛ばして、ある時代・地域に縛られる側面がある伝統宗学を一言一句墨守するだけでは、あまり生産的なものにならない。もちろん、一周まわって適切なものになっちゃう時期も巡っては来るけれど。
結局、ひとりひとりがダルマそのものについてしっかりと連結したものでなければ、ドグマ主義でおかしくなってしまう。

その点で、今の日本は唐代に近いのか、宋以降に近いのか、あるいはまったく別個の状況なのか、そのあたりを見極めないと、きちんとした浄土教の判定と言うか適切さをいう事か出来ない。

こういうのは便宜主義という批判をされるかも知れないけれど、少なくとも言詮不及・分割以前の地点のダルマというものを踏まえているのなら、これが単なる便宜主義でないみとは多分、わかってもらえるのかな、と思うんだけれど…。

こういうのは浄土思想だけではなくて、もちろん密教にも、禅宗にも、およそ言語表現のレベル、概念レベルのところで「語る」場合には、どういうものであっても共通する問題かと思う。