प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

仏前の態度

'15.04.29

仏前に座るというのはどういうことか。

最近、法事の席で「足は楽にどうぞ」と言う前から、最初から胡坐で座る人が増えてきました。
だいたい中高年男性。さすがに立膝で…というのは何度かしか見たことないですが、胡坐は結構、多いです。
ちょっとそのあたり、何か言うべきだなぁ…と思いつつ、しかし僧侶はどうだろうかと。
僧侶も言うほど、きちんとしていない場合があるように感じる。
私も油断すると、如来がここに在すことを失念して、目の前の人間だけを見てしまう事が多々、あります。
これじゃーいかん。
自戒を込めて、書いた記事です。

さてさて。
しかし、いきなり胡坐で本尊にケツ向けて座るというのは、論外です。
こういう当たり前の事ができていない人が、多い。
坊さんであっても。

人間の場合でも、たとえば尊敬する方がおられる部屋に入った時に、
挨拶もなしにあぐらでケツ向けてどっかと座りはしないでしょう。
そういう方の部屋に入る時は、だいたいはまずその方の下座に座り、ご挨拶を正座でするものです。
また、人差し指で差したり、まじまじと顔を見て品評もいたしません。
御本尊であれば尚更の事なのに、それを出来ないのは、
その場に仏などいないという心理を、言わずもがな晒しているだけのことではないでしょうか。
そのような心で、いったい何に手を合わせているのでしょうか。
仏は慈悲深いからそんなことは気にしないのだ…と言った方もいましたが、
では、尊敬する人間に対しても、その方が慈悲深くて怒らないなら、そういう失礼なことをするんでしょうか。
しないでしょう。
学問があるとかないとか、自分の主義信条とかいう以前の問題だと思うんですよね。
法話や談話で檀信徒に向かって座る場合でも、ど真ん中正面で御本尊に足裏を向けるのは、失礼です。
構造上どうしても仕方ない場合もあるのですが、それにしても無意識ではいけない。
目上の方を真後ろに置いて話をする、というのは多分、しないのではないでしょうか。
それと同じです。

座り方。
座り方には、正座もあります、また、結跏趺坐や半跏坐もあります。
そのような座り方が、まず基本です。
安楽座というのもあり、これは胡坐に近いですが、これは胡坐ではありません。
膝が悪い方、あるいは椅子席の場合は、当然ながら椅子に座ります。
その時に、足を投げ出すな、と。猫背になるな。
椅子は楽するために座るのでは胡坐と一緒です。
椅子は椅子で良いんです。
実は私も怪我して以来、ずっと左膝が悪いので、正座は1時間、結跏趺坐は無理、半跏坐なら15分が限界で、
安楽座でも30分を超えると左膝が悲鳴を上げてしまいます。
ですから、法事等で椅子席でないと辛い、という気持ちはよくわかるつもりです。
でも、椅子には椅子の座り方というものがあります。
基本はやはり、尊敬する方に対する態度、です。
まして真如法身の象徴である如来を面前にしているのです。
その意識は、忘れずにいたいものです。

檀信徒さんにはここまで言いませんし、「足は楽にどうぞ」と言いますが、
ただ、如来の面前であるということは、なるべく言うようにはしています。
椅子あるいは胡坐でないと痛くて手を合わせるどころじゃない…となると本末転倒ですから、
足は崩してもかまいません。
ただ、ここは如来の場であり、崩す際は心の中で「すみません」と言ってください。
それは、礼儀です、と。