प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

五根の応用

'13.02.11

仏教では五根といって示されるものが、ふたつあります。

ひとつは「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」で、感覚器官です。これは有名ですが、もうひとつ、覚分法としての五根というものもあって、それは「信根・精進根・念根・定根・慧根」です。これは信力乃至慧力の達成の根拠となる能力のことですが、実践上とても大切なものです。

とりわけ意識すべきなのが、その順序です。

まず、仏陀に対する正しい信があってはじめて迷いのない修善の努力精進が可能になります。そうすれば仏説を記憶・憶念する力も十全に発揮され、平等心に基づいた不執着の一境集中の禅定力も身につき、苦の滅尽と菩薩行の両立した仏智へ至ることができるようになる…わけです。必ず、この順序です。
また、「慧根」があれば他の四根は自然に備わるために、とりわけ「慧根」が大切にされるのですが、足場がなければ家が建たないように、他の四根なくして慧根はありません。そういう意味で、五根すべて大切、そしてこの順序が大事です。

思うに、この「五根の順」というものは、何もただ仏道修行に関わるだけではなくて、あらゆる場面で大切な事ではないでしょうか。

たとえば「大学受験」を考えてみても、ゴールが「合格」だとします。これが「慧根」でして、根本的な大切なことが「合格」ただひとつだとしても、合格をイメージするだけでは受験は失敗するでしょう。
必ず、まず「このテキスト、この先生」を信頼して選択し、努力して勉強して記憶し、集中力を養成して、そして合格するわけです。順序は崩してはなりません。「集中力がないから、勉強の前に集中力養成セミナーに行こう」という人は、多分、所期の成果を挙げられないものです。実際の勉強を通して、集中力は養うものです(かつて大学受験に失敗してドロップアウトした私が言うのも何ですが、失敗者だからこその実感ということで、勘弁してください…笑)

仕事について、芸事について、生活習慣の改善について、すべて推して知るべし。

仏教というのは机上の空論ではありませんし、古典芸能や儀礼でもありません。まして布施強奪の虚業でもありません。人生全般、ありとあらゆる場面における生き方の指針が満載されています。そしてそれだけではなくて、その先にはそれらの実用を超えた真実の智慧に至るための教えがあります。
学べば学ぶほど、日々「素晴らしいなぁ」と思うばかり。
まぁなかなか、「常にキッチリ実践する」のは難しいのですが(私は腰の座らない凡夫なうえに、なんせ生来の怠け者)、少なくとも「ここが理想だ」「これが指先の月だ」という、確固不動の「仏法」があることは知っています。それだけでもありがたいな、と。増して、それをなんとか敷衍して紹介するという「役割」を持った法師であることは、どれほど幸せで畏れ多いことか。
感謝して、精進したいと思います。