प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

議論…

'12.07.01

以下は特別の「誰」ということもない一般論です。

さて。

日本人は議論・討論が苦手と言われます。確かにそれはそう思います。もちろん色々とネットを見ていたら、必ずしも特に日本人だけが…とも思わないのですが、基本的に、日本人が全体的には議論下手の方だ、というのは当っているとは思います(ただ私は、アメリカ人流の自己主張的議論は面倒くさくて嫌いですが)。

議論とはそもそも、何だろうか。

それは、きちんとした根拠を示して行う、あるいは「私の意見である」ことを明示して議論する、「声が大きい方が勝ち」ではないと知る、もっとも大切なことは「議論の勝敗・結論は第三者が行う者であり、当事者の癖に勝利宣言する奴はアホの極み」と悟る…なんてことを前提にして、言葉でもって、理性的に、その限界を自覚しつつ、所信を提示し合い、共通点と相違点を明らかにして行く事。これだと思います。

まぁ、「議論の定義」なんか他にも色々と作れるだろうし、私のは一例というか、一側面に過ぎないことですけれども。ただ、それなりに議論のあり方についての基礎ではあると思います。

で。

そんな事など無視して非建設的議論をする人は馬鹿もしくは非常識だけど、上記のような建設的議論と非建設的議論を識別できない奴は更にタチが悪い。議論という議論すべてを「争いだ」と拒否して「とにかくみんな仲良くしなきゃね」という思考停止主義はどうなんだろうか。
多分そういう人は、「意見と人格」の区分もままならず、意見否定即人格否定になっちゃう幼いタイプなんだと思う。

あと、通俗的経験主義も困りもの。「経験した事だけが真実で、経験していない事柄には触れるべきでない」というやつ。抽象的議論や文献学的議論なくしては床屋談義にもならないんだけれど、床屋談義と建設的討論の区別もついていないとしか思えない。

とりわけ、ネットの世界は、難しい。

いや、

現実も似たようなものかな…。