प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

天国?極楽?

'12.06.26

・質問

葬式で天国という言葉が出てきますが、仏教は極楽じゃないの?

・答え

葬儀などの弔辞やなんかで、よく「天国に安らかに旅立って云々」というセリフが飛び出します。これについて「いや、仏教では天国はおかしいだろう」という意見があります。確かに一理あります。
でもその論拠が、「天国はキリスト教の用語だから」と言われれば、そりゃちょっと待て、と。一般の人が「天国」という時、果たしてキリスト教で言うところの「神の国」を指しているのでしょうか。そんなわけないです。

人によって感覚は違うでしょうけど、多分、一般的な人の思い浮かべている「天国」というのは、現世と地続きの、それでいて不可視の、ぼんやりと「中距離むこう」の「どこか」。あるいは私たちの現世と重なってはいるものの、すこしだけ「ずれている」次元の不可視的な世界(私はよく3㎝だけ全体がスライドしている世界、などと言うのですが)。
これはキリスト教的な天国ではなくて、きわめて日本的な感覚、特定してみるとすれば、平田派国学的な幽冥界の感覚に近いのではないでしょうか。多分、ほとんどの人の「天国」とは、これです。決してキリスト教ではない。
また、「天国」思想自体は仏教でも必ずしも排除していないでしょう。釈尊も在家信徒に対しては「生天思想」を説いた事実があるわけですから、その内実について詰める必要はありますが、「いかなる場合でも天国は排除すべき」というのも議論の余地があります。

ま、浄土真宗なんかは議論の余地なく極楽だ…と言うでしょうが、生前にまったく信仰も何もない人が葬儀だけやって極楽に行けるわけもないので、やはり現実的には功徳回向による生天論の立場はあり得ると思うんですよね(これは私の立場からの意見で、もちろん真宗サイドからは論外の暴論だとはわかってます)。
その意味では、「天国」という言葉にも色々と考えさせられます。