प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

リトリート

'12.06.14

「人はひとりでは生きていけない」「何事も縁あってのこと」

そりゃそうです。

でも、これは「事実認識」のレベルであって、具体的・実践的に生きていく場面において、この「事実」に誤ったアプローチ・理解でべったり寄りかかることはダメな事でしょう。つまり、「友達がいないとダメ」「<つながって>ないと不安になる」…。

ネット社会・ケータイ社会になって20年近くが経ちましたけれど、便利さの一方で、こういう脆弱な精神構造の人がどんどん増えてきているような気がします。もちろん私も弱い人間ですが、想像を絶する「他者依存症」の人がどんどん増えているみたいです。
思えば、24時間365日、都市部では昼も夜も変わらぬ便利さを享受できる場がたくさんあります。都市部だけでなく、どんな地方でもテレビ・ネット・コンビニは常に稼働中です。常に「誰かがいる」「音がある」…。

いつから私たちは、そういう異常な状況を平然と受け入れるようになったのでしょうか。静寂の中、ひとり静かにいて平気…という感覚はもはや滅ぶべき旧感覚なのでしょうか。心ならずも独りになってしまった人は、「つながっていないのは異常」という風潮に強迫され、本当は自分が自分であるための大切な時間を、焦りや劣等感とともに空費していないでしょうか。

もちろん他者との関係は大切です。
しかしそれは、「表面的に常につながっていなければ構築できないもの」でしょうか。そんなことはないでしょう。簡単にアクセスできて、インスタントにトモダチになったとして、それが本当の意味での深い関係性の構築になるかどうか、よく考えてみるべきです。
たったひとり、誰もいない僻地に住んでいたとしても、パソコンもケータイもなかったとしても、豊かな世界との関係は築けるのですが、その為には「現前している関係性からのリトリート」も大切です。

ひとり立つ強さ。

現代では、これをこそ求めていくべきではないでしょうか。
傷をなめ合うような「そのままでいいんだよ」「今のあなたが最高です」「みんなでつながっていようね」などの寄りかかり合いは、一時的な苦痛の麻痺には役立つかもしれませんが、根本的には何も変えません。そして私たちが「真実」にコミットしたいと思えば、何かしら変わらなければならないのです。
仏性は誰でも持っていますが、泥まみれのそれはやはり、光を放たないのです。