प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

縁起

'21.09.06

弘法大師の作られた漢詩に、「十喩を詠ずる詩」という連作がありますが、その最初に「如幻の喩を詠ず」という作品があります。

吾れ諸法を観るに譬えば幻の如し(あらゆる現象やものを観察すれば、すべて譬えれば幻のようなものである)

という一文から始まりますが、その中に

…………………………

春の園の桃李は肉眼を眩かす
秋の水の桂光は幾ばくか酔嬰する

春の園に咲く桃李の花は人の目を幻惑し、水に映じた秋月を嬰児は取ろうとして迷う。

…………………………

という文章があります。

私達が普段、当たり前に見ている様々な物事、それは考えられているほど確かなものなのだろうか…という趣旨なのですが、人はどうしても良きにつけ悪しきにつけ、目の前にあるものや状況を動かせないかの如くがっちり固定化してしまい、それに縛られて息を詰まらされていないでしょうか。

仏教では、あらゆる物事は縁起であるとしていまして、すべては関わり合い影響し合いながらいつも変化し、固定化された実体などない、と教えています。また、同じもの・状況を見ても、人によってまったく違う意味を持ちます。また、後になって予想もしなかった結果をもたらしたりもします。
何事にも固定化された性質、姿などはないのです。

マハートマ・ガンディーという人がいました。
インドの独立を勝ち取った近代インドの偉人ですが、彼の掲げた理念に、「非暴力・不服従」があります。
当時のインドはイギリス植民地で、大多数の人はイギリス統治を当たり前に考えていました。ガンディーも最初はそうで、弁護士資格を取るためのイギリス留学にあたって、最初は「立派な英国紳士」になるようかなり努力したそうです。
その彼が「インド人差別」を目の当たりにし、様々な経験を重ねる中で、インドは当たり前のようにイギリス植民地であってはならない、必ずイギリスと対等な国家として独立できる、と気づいたのです。
その際に、銃に銃ではなく、非暴力、しかも不服従という主張を展開し、最初は揶揄もされたのですが、結局はこの路線が独立を勝ち取りました。
ガンディーは、イギリスによって用意された制度や現実を「当たり前」「決まったこと」として考えず、それは人の行為によって変えられる、と考えたわけです。銃には銃・暴力には暴力、というそれまでの固定観念に縛られず、非暴力不服従という新しい道を勇気を持って実践しました。
これはすべて、ガンディーの信念であり、彼の信仰から出たものです。ガンディーはヒンドゥー教でしたが、「春の園の桃李は肉眼を眩かす 秋の水の桂光は幾ばくか酔嬰する」状態だった当時のインドに、「そうではない、行為と真理によってすべては変わる」、吾れ諸法を観るに譬えば幻の如しであり、今見えているものに縛られて座り込んではならない、と語り、実際にインド独立にまで導きました。

さて、そのガンディーの理想は、後にアメリカ公民権運動を主導したマルティン・ルーサー・キング牧師や、非暴力のチベット解放闘争をしているダライ・ラマ14世法王にまで受け継がれていますが、何も偉人だけができる、という話ではありません。私たちひとりひとりが、この意識を持って生きることが大切です。

すべては移りゆく。

それだけを聞くと何だか厭世的にも聞こえます。確かに私たちは皆いずれ死ぬ、いつか世界も宇宙も滅ぶだろう、という意味もこれには込められています。しかし、死すら固定化された実体ではないし、良いことも悪いこともすべて移りゆく。
大切なのはいつも「出来事や状況」を固定化してとらわれずに、私たちの行為や意識が時々刻々と次の出来事や状況を作り出すのだと知り、より良い生、より良い関係性、より良い世界、より良い死は、今日の私たちにかかっているのだと知ること。大切なのは、それです。

先頃、東京五輪、オリンピック・パラリンピックがありました。日本もメダル数に一喜一憂する報道もあり、皆さんも期間中はテレビ観戦されたことと思います。
私は行事・お盆が重なりあまり観ていませんが、それでもチラチラと観戦する中で、気を引かれたのが「圧倒的に弱い選手」です。陸上でも水泳でも、ひとりだけ大幅に遅れてゴールする選手。正直、日本の高校総体でも優勝できないくらいの競技レベルなのでしょうけれど、彼らが皆、一所懸命な姿なんです。
彼らは小国、貧しい国、あるいは紛争地の出身者が多く、満足な施設やトレーニング環境がありません。
しかし、「どうせ出来ない」「やるだけ無駄」と、自らの状況を固定化して決めつけず、とにかく夢と目標を持って努力し、五輪の舞台に立ちました。結果は予選落ちでも、自己ベストを更新した選手は多かったようです。晴れやかな顔をしている選手もたくさんいたのが印象的でした。

確かにそれはガンディーなどの偉人のように歴史に残る行為ではないかも知れないですが、自らが「運命」に負けて、状況や環境を「変わらないもの」と諦めてしまわず、今日の行為・考え方によって必ず明日の状況や環境は作られていくのだと信じ、立ち上がり、歩いた結果なのです。
メダル級の出来事だったと思います。

私たちはそれぞれ違います。生活環境、仕事、年齢や立場、趣味も違います。さまざまな状況や悩みはそれぞれありますが、いずれにしても、それらは固定化されたものではありません。すべて、他の物事と関わり合い、繋がり合い、変化し続けています。
「こういうものだ、これは確かに絶対にずっとこうだ」という考え方は、端的に間違い、思い込み、幻想です。そんなことはありません。

すべては縁起して、より合わさり、何事かは起こります。ですからまず、私たちひとりひとりが今日、より良い明日のために行動を起こす、ものの観方を改める。そして、隣人や社会、宇宙すべてが絡みあい一大ネットワークを形成していて、孤立したもの・完全に独立したものはない、すべては変わりゆくし一瞬も同じものごとはないと信じ、共に歩いて参りましょう。

私たちは、同じひとつの存在ですから。