प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

天田荒神社

'21.10.16

少し必要があり、福楽寺にある天田荒神社についてまとめました。

由来

江戸時代以前、正八幡宮東方の荒神原の岩清水の湧く場所に、かつて荒神様が祀られておりました。享保十三(一七二八)年の古文書によれば、この荒神原の荒神社は天田の地主神として古来より福楽寺抱えの社でありましたが、朝晩に地区住人が参拝祈願をするのに不便であるということから、十八世紀中頃に福楽寺境内北東隅に分霊勧請し、福楽寺鎮守である貴船大明神と相殿として祀り始めたと伝えられています。これが天田荒神社の興りです。
天明三(一七八三)年に遍明院の性海上人によって秋穂八十八カ所が開かれた時には、この天田荒神社が七番札所として定められました(現在、七番札所は福楽寺本堂内に移転)。

明治はじめの神仏分離・寺社統合の維新政府通達により、荒神原の荒神社は整理されて跡地は田畑となってしまいました。天田荒神社も天田部落内の諸祠とともに整理されて正八幡宮に移されましたが、天田地区の住人の願いによって再びこの場所に戻されることとなりました。

現在、五穀豊穣と家内安全などを祈って九月二十八日前後に「天田荒神祭」が行われていますが、これはかつて行われるも中断していた祭で、昭和二十二年頃から地区有志の発起によって再開されたものであります。

三宝荒神

荒神社に祀られているのは地区の総鎮守である「三宝大荒神」と、福楽寺鎮守の「貴船大明神」の二柱です。
貴船大明神は正しくは高龗神という水神であり、祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰されております。
一方の三宝大荒神は修験道の祖・役小角が大和国・金剛山で感得した神であり、三面六臂または八面六臂、髪を逆立てて眼を吊り上げ、暴悪を治罰せんとする慈悲が極まった憤怒の表情を示した姿で表されますが、仏教と非常に縁の深い神であると言えます。そのため、伽藍神・仏教の守護神としても古来から祀られてまいりました。
さて、三宝大荒神の三宝とは何かということでありますが、これは「仏・法・僧」の三宝であり、また「火・土・水」の三つでもあります。
三宝荒神は『大日経疏』巻五に日天の眷属である剣婆として説かれていますが、この剣婆とは地震の神・火山噴火の力を司る神であって、「火・土・水」の融合したマグマを荒神の現れと崇められたものです。この力は破壊をもたらす荒ぶる神ですが、大地のその力あればこそ五穀豊穣は成るのであり、「火・土・水」の力が荒ぶらず和やかにあることで私たちの生活は豊かに営まれるのです。三宝大荒神の大きな力が災いではなく恵みをもたらしてくれるよう、古来からこの神は地域の守護神として厚く祀られてきたのであります。 
また荒神は「かまど神」とも呼ばれますが、これは昔の竈は土で作られて火を入れ、そして水を湧かすところから、特に台所で祀ることにより火防の効験あるとされたためです。また、食事は命の力の根源であるところから、荒神の大力により我々の生命の伸長と守護をもたらすと考えられたのでしょう。

拝み方
 
 ・一礼三拍手一礼
 ・三宝荒神御真言「おん けんばや けんばや そわか」三遍乃至二十一遍
 ・祈念
 ・一礼三拍手一礼