प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

止観

'21.11.02

『大乗起信論』における実践の奢摩他観・毘鉢舎那観、つまり止・観について以下に概要を示す。実践の基本は真言念誦に尽き、そこにすべての行が含まれているが、時に応じてこの奢摩他観・毘鉢舎那観を行ずることで一層の進展が望めるであろう。

 

「一切の境界相を止めること」である。

・静処に端坐して心を正し、数息観や形色・空・四大、あらゆる見聞覚知、外界の事象に依らない。

・次いで、一切の諸想を念に随って皆除き、除くという想も遣る。一切法は唯心の所作、本来無相であり、不生不滅であるから。

・日常の行住坐臥においてもこの法性不動の理を観察すれば、一切諸法は唯一真如であると見る真如三昧に入ることができるようになる。

・その結果、法界一相(一大海)をさとり、一切諸仏の法身と衆生身とは平等無二(波は海であった!)であること(一行三昧)を知る。この真如三昧は無量の三昧を生ずるので、あらゆる三昧の根本である。

さて、止だけでは、心が沈没し懈怠を起こし、衆善を願わず大悲から遠ざかる恐れがあるので、観の修習が必要となる。

 

「因縁生滅の相を分別して観察すること」である。

 ・法相観
有為法は無常であること。無常観。
無常なものは苦であること。苦観。
一切諸法は無我であると見る。無我観。
自己の身体は不浄であると見る。不浄観。

 ・大悲観
法相観に基づき、大悲観に進む。
一切衆生は無始よりこのかた無明に薫習されているので妄念や心生滅が起こり、過去現在に迷いの生存となり大苦に逼迫せられている。それを知らず覚らず離れられない衆生は誠に憐れむべきである、と観ずる。

 ・大願観
願わくは我が心をして、分別を離れしむるが故に、十方に遍して一切の諸善功徳を修行し、その未来を尽くして無量の方便をもって一切の苦悩の衆生を救い、涅槃第一義の楽を得させよう、との誓願を起こす。

 ・精進観
一切時一切処において大願観・大誓願を起こし、衆善を力の限り実行して捨てず、懈怠の心を起こさない、と決心する。

 止観双運

止により万象本来一大海を念ずるが、同時に観により、因縁和合による善悪業の苦楽は壊れないと念ずる。同時に、因縁和合の業報を念ずと言えども、しかしその諸法の相は本来不可得と念ずる。
また、凡夫の世間に執着するを対治するのが止、菩薩の大悲を心を持たんとするのが観、つまり世間を捨てず世間に執着しない、この双方を共に助成しあい、捨てない。これなくしては菩提はない。