प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

毒と薬

'21.12.07

愚に於ては毒と為り 智に於ては薬と為る
故に能く迷いまた能く悟るという

いかなるものごとも、愚か者には毒となり、賢い人には薬となる。ここに迷いと悟りの差がある。

「声字実相義」

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私たちが生きて生活する中で、時には良いことが起こり、また時には悪いことが起こります。
しかし実はよく考えると、それらの出来事そのものが良いか悪いかというよりも、私たちがそれらの出来事を良く捉えるか悪く捉えるか、というのが本当のところでしょう。

物事は「起こるべくして起こる」のであり、起こってしまった出来事に良いの悪いのとレッテルを貼って右往左往して悲しんだり有頂天になっても仕方がありません。起こった出来事は起こったのですから、大切なことは私たちがそれをどう受け止めて対処するか、より良い生き方や考え方に活かしていけるのか、そこが大切になります。

出来事にはすべて原因、流れがあり、その中で必然的に起きるものですから、避けようとしても避けられません。起きたことに執着しても嫌っても、事態は変わらないのです。
そしてその事態・出来事もいずれ移りゆき、幻のような過去の話になります。
最後に残るのは、その出来事じたいではなく、それに向き合った私たちの思い・吐いた言葉・行動によって魂(心)に刻み込まれるもの(カルマ・業)しかありません。それしか残らず、それは死んたあとまでずっとついて回るものなのです。
だから、出来事の善悪ではなく、心の善悪をこそ問わなくてはなりません。それは、常に思い遣り、慈悲の心を持つこと、すべては繋がり合って成り立っていることを自覚することです。

出来事そのものはすぐに移り変わります。それにしがみついて拘り過ぎるのはあまり意味がありません。それより、それに向き合ってどう考えて喋って行動したのかということ、それが自分の魂(心)に刻み込まれるのですから、そちらの方が大切なことです。
どんな出来事も、良いことも悪いことも、それ自体にこだわり過ぎれば必ず毒になります。その出来事にどう関わり、それを通してより善き心を養うかを考えるならば、いかなる出来事も必ず薬となるものです。