प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

今年の抱負、は要らない

'22.01.06

宜しく汝等二三子等 熟ら出家の本意を顧みて 入道の源由を尋ねよ

(性霊集九)

弟子たちよ、出家した動機を思い出し、仏道入門の真意を忘れてはならない。

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令和4年が明けました。
毎年年頭に、「今年の抱負」「今年の目標」などを考える方もおられることでしょう。

ところで翻って、昨年の年頭に考えていたことはしっかり実践し達成しましたでしょうか? 中には「さて、何を考えていたんだっけ?」と、昨年立てた抱負や目標を覚えていない人もいるかも知れません。
それはそれでまったく構わないのですが、それではせっかく心新たに何かを決意しても、まぁ春になる頃には惰性的な日常に埋没してしまっているのが関の山、もったいないことです。

ですから、慌てて「今年の抱負・目標」を考える前に、そもそも自分が生きていく上で根本的に大切なことはなにか、何をするために生きているのか、をしっかり見つめ直すことが大切になります。
仏教には「誓願」というのがあり、およそ仏教に志し菩薩として生きたいと願う人は「誓願」を致します。
まず基本は「四弘誓願」「五大願」というもの(仏前勤行次第にもありますね)を誓い、加えて自分自身のオリジナルな誓願、慈悲に立脚した何かしらの誓いを立てます。
その「誓い」、これは「願い」と言って良いですが、これこそが「そもそも自分が生きていく上で根本的に大切なことはなにか、何をするために生きているのか」の答えになります。
これを達成するために努力していくことが、「今年の抱負・目標」、いや、本当の「人生の抱負・目標」なのです。

「今年は稼ぎたい」「旅行に行きたい」「健康でいたい」「受験や就職に成功したい」「結婚したい」云々…。それはそれで結構なことです。ただ、そうやって得た何かを自分や親しいウチにだけ向かって利益を確保しようとするのではなく、世界全体の衆生が救われ慈悲が実現され、平和な心が誰にも行き渡るように活用しようとしてください。
「誓願」に少しでも資するようにすべてを使うことが、私たちの生きる意味を再確認させ、ひいては自分自身の現当二世の幸せにも繋がります。

できれば新年だけではなく。毎日仏壇なり寺院なり、あるいは生活の場でじっと目を閉じてでもよいですが、毎日少しでも慈悲の誓願を思い起こし、日々気持ちを新しく生活してみてください。
そうすればわざわざ「新年の抱負や目標」など改めて立てる必要はもはやありません。日々新しく、一日一日を踏みしめて歩いて行けるはずです。