प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

悪意

'22.03.18

地獄は何れの処にか在る
孰れか自心の中に観ん

「十住心第一」

地獄はどこにあるか。それは君の心にある。

……………………………

人間の心とは如何なるものか、その「理論」は仏教にも様々なものがあります。しかしいずれにしても、私達の心が御し難いものであることは事実明白です。

今、ウクライナに対するロシアの侵略が行われています。侵略そのものも悲惨ですが、これにまつわる様々な言説がマスコミやSNSに見られます。戦場に負けず劣らず地獄の様相で、観たり読んだりすると本当にうんざりします。

しかしそれは今に始まったことではなく、お寺や仏教に関わるSNSの様々な投稿や言説などでも…もちろん真摯で有意義なものも多々ありますが…誹謗中傷やデマ、事実を曲げてまで攻撃的なことを書く、叩く…そんな書き込みが毎日毎日、目に付きます。
それらを書き込む者にはある種の目的(自分への利益誘導や布教行為など)がある場合もありますし、単に面白半分で陰から抵抗できない対象を傷つけて楽しんでいる者もいるでしょう。

恐らく昔から人間などは「そういうもの」だったのかも知れませんが、昨今はますますSNS等で「心の暗い部分」が可視化され拡散され、それを見た人の悪意を刺激して助長しやすくなってしまったように感じます。

残念ながら、それは僧侶や宗教者、信仰者にあっても例外ではありません。陰で誹謗中傷をしたり、他者を叩くという行為はいくらでも見られます。

SNSやネットは確かに有意義で、今更それを「やめよう、規制しよう」とはなりません。様々な情報や新しい人間関係を建設的に結ぶツールとして、現代社会には不可欠のものです。
今般のウクライナ戦争でも、ネットが力になり世論を喚起して、世界を結びつけています。

しかしそんなメリットの裏に、地獄の業火を知らず拡散させ、加担し、もの凄い勢いで人間の精神を蝕む悪意の連鎖や蓄積があります。

本当に地獄です。

私自身にももちろん「地獄の心」はあります。それをどうコントロールして昇華させるかを地道にやるのが仏教ですが、仏教の話をしているつもりが、まさにその「地獄の心」を増長させて燃え上がらせ、他者にまで放火して回るようになってしまうならば、SNSも罠になります。自覚しないままに捕らわれ、いずれ焼き尽くされます。

悪意の連鎖はもうやめましょう。何も生み出しません。無意味です。私達の精神性や社会を腐らせるだけです。

私はSNSでの様々な議論や、仏教の教えについての書き込みはもうやめます。あまり意味が見出せなくなったのもありますが、悪意に巻き込まれ、それにより自分の中の「地獄の心」が成長することをなにより恐れます。また特に、それによってダルマが侮辱される機会を減らしたいからです。

お寺の行事や近況報告のSNSは続けます。またこのブログはコメント欄もなく、あくまで仏教の考え方や私の意見を紹介するだけの場ですから、こちらも続けます。観た方がどう受け止めるか、拾うか捨てるかは自由です。提示するだけです。

人間の心は本当に怖いです。また、自他に与える影響は思っている以上に甚大です。

悪意より慈悲喜捨。
誹謗より和顔愛語。

南無大師遍照金剛。