प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

道と名利

'22.05.08

古の人は道の為に道を求む
今の人は名利の為に求む
名の為にこれを求むるは求道の志にあらず

「性霊集十」

昔の人は道のために教えを求めたが、今の人は名利のために学んでいる。これでは真の求道者とは言えない。

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仏道修行や研究、あるいは様々な宗教や思想の聖職者や専門家、学者あるいは医者や福祉関係、法曹や教師や政治家などの仕事にも通じますが、「道」や「理想」を高く掲げながら魂の救済や成仏、人格完成や具体的な苦しみからの救済、援助、そんな「仕事」も「名誉とカネ」のために行うならば偽者で、まったく情けない話だ…と弘法大師は仰います。

もちろん霞を食って生きるわけではないので、お金は必要です。お金が悪いわけではありません。また、良い評判がなかったり誤解されていたら、なかなか善き仕事もうまく回らなくなりますから、名利自体が悪いわけではないです。
しかし名利「のために」、名利「に執着して」行うならば、その仕事の程度は低くなるわけです。

これはいわゆる「仕事」に限らず、日常の行為ひとつを取っても当てはまる話で、誰か…家族や親戚、友人や地域の人など隣人や…にすこし親切をした時に「見返りを期待して」それをするならば、それは親切とは言わないのです。
「お返し・見返りが欲しい」だけではなく、「よく思われたい」「私はこれだけ良いことをしたから偉いのだ」などの自尊心や慢心を満たす気持ちがあるならば、その行為の程度はやはり低いのです。

繰り返しますが、名利…お金も良い評判も大切です。しかしそれはあくまで結果です。目的ではありません。
目的は、「道」です。
「善き者になりたい」「覚りを得たい」「みんなで幸せになりたい」「苦しむ人を救いたい」そのために「修行したい」「知識を得たい」「働きたい」。それが道です。そのために生きるのです。

外面からはなかなか人の志の程度はわかりませんので、油断すると口先だけでうまいことを言うようになります。
しかしそれでは、だめです。
他人はともあれ、少なくとも自分自身は少しでも「道」に沿った生き方ができるように、内面の心を大切に見つめることを忘れずにしながら、コツコツと日々過ごして参りましょう。