प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

真の知識

'22.08.23

何千回講義しても、世俗的な人間には何の効能もない。石の壁に釘が打てるかい? 釘の頭がこわれても石壁はビクともしないさ。
〈中略〉
あんたの講義は、この世のことにかまけている連中にはあんまり役に立たないよ。

(ラーマクリシュナ)

……………………………………

書物を読む人間にも同じことが言える。知識を蓄えても、それだけでは役には立たない。偉そうに先生面して講釈して少しばかり「凄いね」とおだてられたところで、あなたは間もなく死ぬ。
死ぬときに肉体や財産を持っていけないように、知識も持ってはいけない。
それは僅かな時間の勲章にしかならないし、その勲章などタヌキの葉っぱ以上のものではない。毒にも薬にもならない代物。

死ぬときに助け(あるいは足枷)になるのは、あなたが人生で魂に刻み込んできたカルマだけ。それと、涵養してきた信仰・信心が道標になる。

知識が価値を持つのは、これらに資する場合に限られる。しかし人は善きカルマや信仰・信心のために知識を求めることは少ないし、真の知識は文字や「役に立つ」こととは次元が違うことなど尚更に理解しない。興味もない。
知ろうとするならば永遠に知られないのが、真の知識だ。そしてそれだけが価値だし、それが宇宙のすべてだ。

知られ得る知識をレクチャーしたりレクチャーされたりして積み上げたところで、そもそも積み上がるものは真実ではあり得ない。
その抜け殻、真実の不完全な影を後生大事に抱えても詮無いことだ。

梯子は登るためにある。あるいは登ったあとに降りるためにある。屋上の景色は梯子をいくら眺めてもわかりはしない。