प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

成道会

'22.12.08

12/8は何の日でしょうか。

太平洋戦争が始まった日、つまり真珠湾攻撃のあった日が、12/8です。

有史以来ずっと人類はどこかで戦争を絶えず続けてきましたし、戦争は人類誕生の最初から延々とあったのでしょう。
古代あるいは中世までは、戦争があっても「基本的には」局地的なもので、遠く離れた地域への影響はあまりないか、あってもそう意識されるほどのことはなかったと思われます(モンゴルの世界征服戦争など例外はあれど)。少なくとも「実際に戦われている地域」および隣接地帯は悲惨でも、あまりそれに影響されない地域の方が多かったわけです。

ところが近現代の戦争はそうはいきません。
今のウクライナ・ロシア戦争を見てもわかりますが、世界は経済的、政治的、環境的、情報的に密接に絡み合い、局地戦であっても地球の裏側まで激震が走ります。

仏教では「縁起」を教えます。

近代以前の世界でも、実は局地戦が全地球的に関わり影響を及ぼしていたのですが、近現代においてはそれが非常にハッキリと認識できるほど、世界は狭くなり密接になりました。
すべてが相互関連・相互依存の網目の連鎖であり、個々の人であれ国であれ、何一つそれを逃れるものはない。自立孤立して存在するものはない。
このことが今は明確に認識できる時代です。

縁起の世界においては、すべては水のようなものです。一時的に他を低くして高みに登ろうとも、いずれフラットになります。勝ちは負けに裏付けられ、いつでも反転します。その繰り返しが輪廻の苦です。相対的に自分だけが上がろう、勝とうとしても、水は高きを低くしていく力を持っています。

そのような縁起の世界が、我々の実態です。

そして釈尊がこの実態を示された第一日目、つまり覚られた日こそが、実は今日、12/8なのです。

戦争、疫病もそうですし、逆に、慈悲や連帯の行動も、今の時代は急速にハッキリと世界に影響を及ぼします。
私達は皆、水です。
慈悲や連帯は高い水を低い水に意志的に流す行為です。輪廻世界、世俗世界は平準ではあり得ません。常に高低差があります。
自らが高みに連なるように努めるか、低きに連帯していくか、私達は常に意識しながら、この生を生きていく必要があります。

釈尊成道の日、改めて甚深なる縁起の教えに思いを寄せて参りましょう。