प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

祈り

'23.07.30

死んだら漏れなく天国や極楽に行けるという万人救済論的な話は、残念ながらないです。特に仏教は業果は必ず受けるのであって、死んだら輪廻します。これが原則です。
回向によって故人が良い方向に向く、業の報いが軽くなることはあっても、ベースとなるところは自己責任です。供養や回向は故人のサンスカーラの変容を助けますが、変容するのは故人自身であって、他人が肩代わりできません。

たとえば浄土教だと信心により誰でも極楽往生できると考えますが、では信心がない大多数の人はどうか。檀家や門徒であるだけで往生するはずもなく、ほとんどの人は輪廻の境涯でしょう。

私達にできること、為すべきことは、仏教を学んでまずは善因功徳を積んでより良い輪廻を期する。その上で、輪廻を超えるところに至る行学に進むこと。
そして既に亡くなった方に対しては功徳の回向により仏智への方向に向かうよう祈ること。暗闇から暗闇、苦から苦への輪廻にしがみつかないように、サンスカーラが変容することを祈る。この祈り、供養、回向は大切です。
もちろん自分のサンスカーラも変容しなくてはいけません。

故人が既に輪廻して次の存在に変わっていたとしても、業身は継続しています。だから回向はとどきます。

祈りを忘れた社会がどんどん悪くなっていくことは、ある意味で当然です。祈りがある…仏教でなくても、祈りがある社会は大丈夫です。
私やあなたの前世の縁者(実は今も縁者です)が、今もあなたのために祈り、働きかけて下さっているのですから、私たちはそれに知らず守られているし、あなたも祈り、回向、供養を通して誰かを守っているのです。

そしてそれらすべてを包み込む大海、いのちの根源、存在の根源、如来、真如との繋がり(二而不二)を自覚できるようになった時、私たちは皆すでに救われていた、いや、救われる必要すらなかったのだとわかる日がきっと来るのでしょう。