प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

宗教の理解

'24.06.25

他宗教を理解する、という場合にはたぶん3段階ある。

第1段階は、いわゆる情報や学術レベル。たとえばクリスチャンの仏教学者や仏教徒のイスラーム学者はあり得るし、実際に存在する。

第2段階は、信仰や信心により「体解」するレベルで、これはその宗教を信ずる者にしか開かれていない。たとえば一神教ならば「神と私の関わり」を知らねばならないけど、神を信じていないなら関係性などは問いようがないから、永遠にその理解は閉ざされている。

第3段階は、主客相対以前の絶対の「無限に充実したゼロポイント」、言説化され限定された宗教による認識の足場が失われた「それ」に「なる」レベルの話で、理解する者もされる対象もあり得ない究極的な光。
そこまで至るならば、至りつく経路(各宗教)は違っても、確かに垣根はない。

宗教間対話とか相互理解とか、安易に考えてると失敗するし、ほとんどの人は第2段階を宗教のすべてだと考えているのだから、布教型の宗教に対して相手を尊重して譲歩するだけなら、気づいたら「庇を貸して母屋を取られる」状況にもなる。そこは自覚しておくべきだと私は思う。

皆が第3段階ならば、様々な宗教の在り方を共存させた社会になり得る可能性があるけれど、これを志向する人は限りなく少ないから、現実には食うか食われるか、になってしまいがち。
たとえば仏教界隈ですらも、セクト主義だったり言語分節化されたドグマを真理だと思い込んで優劣論に勤しむ景色が常態なんだから。