コトバ以前
'24.06.26世俗世界におけるサンスカーラ、カルマ、薫習や転依、それから輪廻など。そこに神の支配を認めずに自らがそれを徹頭徹尾作り出し認識してしまうことを前提とするのが仏教で、この点で私たちはキリスト教やイスラームと一致し得ない。
言説化された教義において、お互いに妥協点はない。
しかし勝義において、つまりコトバ以前の絶対性においては、言説化された神ならぬ神の根源態と非分節的離言真如の違いとは何だろうか。
たとえばスーフィーたちの言うマアリファ・ハキーカと仏教の理智との関連、ファナーと滅尽あるいは入我我入の相違など、単純に切り分けることができない。
◯◯教として分類されるその前のところ。
私自身の隠されたテーマとして、そのあたりのことがずっと頭の隅にはある。