प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

戦争と宗教者(1)

'24.06.26

仏教者だけの話ではありません。すべての宗教者に関わる話です。日本だけでもありません。

中国と台湾、あるいはフィリピンの間の情勢がかなり悪く、日米英豪独その他の合同軍事演習も盛んに行われ始めています。
ロシアやイスラエルがあんな状況になり、恐らくなし崩し的に世界大戦に入りつつあるわけですが、日本も実質的に戦争の枠組みに入ってますし、いずれ実力戦に直面することになろうかと思います。
戦争はやるかやらないかではなく、起きるか起きないかの問題で、忌避したところで起きる時には起きます。

さて、私たち宗教者は再び「戦争」に際して如何に考え、如何に発言し、如何に動くかが問われて来るでしょう。
先の大戦時のように、翼賛的な腰砕けでもはや宗教者の体を成さない状態は論外。ああなったら宗教はもはや単なる政治の手先であり、洗脳的慰撫機関でしかなくなります。
かと言って「戦争反対、話せばわかる」お花畑ではリアルを渡れません。ロシア・ウクライナやイスラエル・パレスチナを見て、なおそれを言いますか。中国がそれで侵略的拡大主義を反省してやめますか。

そもそも国家とは何ですか。
その国家を超えるべき宗教の根本とは何ですか。
言挙げでき得る「国家や宗教」を超えた絶対の真理(真如、絶対、神)とは何ですか。
その上で、リアルな生活を如何にして守りますか。

恨みや怒り、熱狂や高慢、経済やプライド、それに貫かれる人間や社会と袂を分かちますか、分かちませんか。

人間とは何ですか。

今のうちによくよく自分なりの答えを模索しておいた方が良くないですか。
さもないと、他人が用意した薄っぺらい戦争観や平和観の、それらいずれかの流れに乗って流れていくしかなくなるでしょう。