戦争と宗教者(2)
'24.06.26戦争が起きている渦中、宗教者は極めて無力な存在になる。
仏教的に言うならば、十悪が世界を覆い、全ては十悪を助長するように動いており、それがノーマルになっているのだから。
殺生、偸盗、邪淫。戦場ではこれが普通であり、それを拒否できる環境にないし、それらの拒否は美徳ですらなくなる。
妄語、綺語、悪口、両舌。戦時の政治や国際関係では偽りの大義が道義を駆逐する。
慳貪や瞋恚は上から下まで、あたかもそれが「愛国心の発露」であるかのように肯定推奨されるだろう。
そうやって邪見と正見は転倒してしまう。
そんな時にまっとうな宗教的思想、超越だとか不二だとか慈悲だとか、卑怯で弱腰で非国民的な言い草以上には受け止められなくなる。
そこが分かれ道になる。
その時にさて、どうする?
十悪については目をつむり、流れに身を任せて慰撫機関の末端として働くか、黙ってやり過ごすか、それでも十善を(超越を、不二を、慈悲を)語るか。
机上の空論ではなく、今、そのあたりきちんと考えていないならば、「その時」に流れに流される以外の、いったいどんな信念で動けるというのだろうか。