苦行とは
'24.07.18「仏教では苦行を禁止している」と言って、禅宗や真言宗の修行を否定する方が稀にいるんですが、そもそも「苦行」とは何か、と。その定義をせずにそう言われても困るわけです。
ふたつの観点でこれを考えると、まず苦を固定化して、一律に何かを苦であると分類はできない、という点。それは法執でしかないし、人によって基準が違う。
ふたつめは、もともと苦行とはタパスにより法力・験力を獲得するものであり、釈尊が6年間やってたことです。
一方、苦行と違うけど似たようなものに、(古典)ヨーガあるいはディヤーナ(禅定)というものがあり、これはタパスとは目的が違い、釈尊以来ほとんどの仏教者やヨーギンがやってきた行法です。
結局、坐禅も四度加行も苦行ではなくて禅定、ヨーガですし…なんなら実生活を営むほうが(精神的)苦行の名に値する事象が頻繁に出来するわけで、他人を見てガタガタ言わずにまずは己が修行しなされや、に尽きる話になるんやろうなぁ…と。
ちなみに滝行とかはタパスに類する面はありますが、じゃああれが苦行かと言われたら…それはむしろ垢離・沐浴に近いような気もします。
あと「捨身」とか「忍辱」も苦行ではない、別の論理で存在する行為ですが、どうも一緒くたになってますね。