प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

行学の前提

'24.07.18

いくら素晴らしい本を読もうが、真実の言葉を聴こうが、それだけで何かが変わるわけではない。
それらを研究したり翻訳したりして細部まで検討し理解したとしても、それだけで何かが変わるわけではない。
そんなもんは単なる知識であり、情報でしかない。
そこがわかってるようでわかってないパターンが多々あって、あたかも博識がエラいかのような誤解が蔓延している。

逆の話で、厳しい修行を長年積んで何かしらを得たところで、誰かが何かを得た時点でそれはそれだけの話、当人の勝手なプライベートの出来事に過ぎないし、体育会的な、あるいは二元的上昇思考の達成感を満足させる沼の住人でしかない。
こちらも別に何もエラいわけではない。

知識・情報と行を繋ぐもの、それらの成立根拠(あるいは不成立根拠)が無視され軽んじられている限り、そんなもんどのみち死ぬまでの趣味、暇つぶし以上のものではない。

得られるべき知識も、修されるべき行もない。そしてそのどちらも既にあなたとして有無を超えてあり、かつ働いている。そして同時に、そんなものは一切、あり得ない。

それがわからないと、いつまで経っても輪廻の境涯だし、優劣高下左右内外から逃れられず、「より良いもの」を妄想しながら死ぬまで安住できない。もしくは、思考停止して目先の何かにしがみついて目と耳を塞ぐ。