渇き
'24.08.12今日は午前中に棚経をしたあと、午後は葬儀だった。
私は檀家や他人に信心や信仰を勧めはしない。勧められて得られるような簡単なものではないし、それは不可能だ。
信心や信仰は渇きに似たようなもので、炎天の砂漠に投げ出された人が水を求めるような話だから。渇きを教えることはできない。自らが渇するしかない。
ただ、知らず渇きに苦しむ人はいるし、水を見たことがない渇いた人もいる。
だから水があること、それを飲めば渇きが癒えることだけは伝えたい。代わりに飲んであげることはできないけれども。
それでも飲めない、飲みたくない、理解ができないなら、それは仕方ない。
しかし波同士は繋がっている。私もあなたもを海だし、私はあなただったのだから。
その時には、完全な代わりにはならないけれど、私が水を飲もう。私も飲むのはまだ下手糞だけれど、あなたに届くように祈りながら。