真正の宗教
'24.08.20最近、ますます「仏教」あるいは「◯◯教」というカテゴライズが窮屈で仕方がない。
言葉で構築されたものは、人類や地球の消滅、また宇宙レベルの幅で考えたらまことに便宜的で不十分なものに過ぎない。
その奥に語られる主客相対や人為を超えた智慧のみに意味があるのに、入口に過ぎない表面、時間や空間の限定になぜみんなこうも縛られてしまうのだろう。
入口なくして奥には入れないけれど、入口で喧々諤々して優劣を争うのはつまらん。
門柱の出来不出来を争う時間があるなら、もっと先に進むべきだよ。
時間ないよ?
基本的には(基本的には)いかなる宗教であれ、そこには真実への道がある。
ただ、人が(あるいは教義が)誤った思考により相対性という壁を作ったり、言語や概念で「 」を理解できると思い上がったり、知らずセキュラリズムや唯物論の罠に嵌まったりしているならば、如何なる宗教伝統に属していようと、道は行き止まりになる。
つまり重要なことは、何の宗教に属しているかではなく、それぞれの宗教に示される真実への道を真摯に歩んでいるか、に尽きる。
これは宗教多元主義ではなく、そもそも宗教はひとつしかないということだ。