蜘蛛の糸
'25.02.23神なり法身大日如来なり、万象の起点あるいは基底に存在する「絶対的なもの」は、それその如く措定されるが故に、分割線が引かれた「 」の断片の最初の一撃である。その一撃は〈神〉の側ではなく、我々の必要から生じる業識の揺れによって認識され概念化された〈真理の影〉である。
それは限定されたものであって、こちらの所与の条件で多様な姿を示す。これが宗教の違いともなる。
私達はこの多様な蜘蛛の糸のどれかを辿りながら「 」に至る(なる)しかないのだけれど、糸の先にある雲の波間の向こうにも多様な世界があるのだと思ってはならない。
特定一本の糸を掴み辿りつつ、この糸がもはやその糸が他と完全に弁別された「特別なもの」ではなく、これ自体に何ら究極的な価値がなかったことを知り、多様な存在性が虚妄であり、存在…「 」こそが一とも言えぬ一性であると知った時に、人は今掴んでいる糸により、「 」へと登り始める。
そうでなければ、糸は切れるしかない。どれほど強そうな糸に見えていようとも。
あるいは、そもそも糸でないものを人は必死に掴んでいるのか。