प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

世界海

'25.02.27

或いは衆生有りて、一乗別教に於て、解行満じ、已に果海に証入する者は、則ち上の諸教は並びに是れ無尽の性海、縁に従いて成ずる所なり、更に異事なしと見る。是の故に諸教は即ち是れ円明無尽の果海の具徳、難思にして不可説不可説なり。此れは一乗入証分斉の処に約して説くなり。

法蔵『華厳五教章』「教起前後第六」

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「上の諸教」の範囲がどこまでか、という議論はあり得るけれど、基本的には「小乗」からこちら、と言うのが文面上の意味になるとは思う。しかしその六つに分類される小乗の中身を考えた時、あるいは原理的に考えても、実際には仏教の枠内だけで無尽の性海が限定される話でもなかろう、と思われる。
ヒンドゥー教、キリスト教、イスラーム、あるいは道教などにも無尽の性海は浸透している、否、それ自身が海そのものでもある。湾も海なのだけれど、人はこの湾のみが海だと思いなし、あるいは太平洋のみが海で個別の湾を切り離している。もちろんカスピ海を海だと誤認する時もあるけれど、しかし水は一味でもあるのだ。完全に別ではない。
別なのは、それに線引きしてあれこれ言う人間の迷妄に他ならない。