無我と真如
'25.10.29空(くう)とは諸法の「縁起・無自性」を言う。
一切皆空とは、有無相対世界、つまり私たちがおよそ概念化したり対象化したりしている全世界すべての事象を指す。
これが基本。
つまり、空とは有無相対世界を撥無する概念である。
その観点から、私たちが「ある」と思っている諸々を「あるのではない」と否定しているわけだ。しかしそれは「ない」のでもない。そこを誤解してはならない。
「無我」というのは「有我」を否定するものであり、「我の無」を主張するものではない。有も無も、概念化された一種の「相」であり、そのような概念自体が成立しないことを述べているに過ぎない。
真如とはそのような事態に仮に名付けられた絶対であり、その有無相対を超えた絶対実在のことであり、それは議論や概念化の彼方であり、体認するしかない何かなのだ。
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『大乗起信論』
言う所の空とは、本より已来、一切の染法と相応せざるが故なり。謂く、一切法の差別の相を離れたれば、虚妄の心念無きを以ての故なり。当に知るべし、真如の自性は有相にも非ず、無相にも非ず、非有相にも非ず、非無相にも非ず、有無倶相にも非ず、一相にも非ず、異相にも非ず、非一相にも非ず、非異相にも非ず、一異倶相にも非ず、乃至、総説せば、一切の衆生は妄心あるを以て、念念に分別して、皆相応せざるに依るが故に、説いて空となす。若し妄心を離るれば、実には空ずべきもの無きが故なり。