प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

真言陀羅尼

'25.11.08

陀羅尼と真言と真言陀羅尼は、同じようで微妙に違うものだと理解している。
簡潔に説明できないんだけども。

いずれにしても、いわゆる「真言(or 真言陀羅尼)」には、音の次元/表層の意味次元/深層の意味次元/底なしの目眩く意味の洪水次元、そしてまた音(如来/真如)に全てが集約されシンプルな光となる…それらがぐるぐる転回しているのだろう。
しかし、念誦しながらその意味を深めていく中で、音の次元/表層の意味次元/深層の意味次元まではどうにかなるのだけれど、「底なしの目眩く意味の洪水次元」、これを理解するのは本当に難しい。種字ひとつひとつを転じながら理解しなくてはならないのだから。ひとつの短い真言ですら、そのレベルに達して念誦するのは簡単ではない。
だからこそ、頭の理解だけではない観想念誦の仕方というものも、またある。真言陀羅尼は薬の効能書ではないので、テキストの知的理解とはまた違う道があるのだ。
もちろん知的理解への努力は怠ってはならないけれど。その土台は必要。それがないと単なる呪文でしかなくなる。