古典の読み方
'25.12.25古典の読み方は聖典の読み方に通じる。
まずは書かれたままを素直に読む。これが基本。奇跡や怪異もすべて「あったこととして読む」姿勢がなければならない。
そうして心に染み込んでから、その次に解釈がある。
その解釈にしても、やれ科学的にとか常識的にとかいう邪念は無用であって、テキストそのものがなにを語りたいのか、だけを知るために解釈する。
戦後の解説本なんかはその点かなり危険で、科学的合理主義や左翼進歩思想が無意識に前提されていたりして、およそ古典や聖典を読む姿勢がなっていない。特に学校教育関係者が書く古典文学解釈は、やたら合理主義やジェンダー思想、ポストコロニアル云々が瀰漫していて、痛い。痛すぎる。
解釈とは言うほど価値中立なわけではなく、論者の立場があからさまに前提されているわけで、そこらあたり、「この人の立場は何であるのか、どこの地点から読んでるのか」を意識していないと、引きずられてしまいかねない。
私は仏教の、それも極めて伝統的な立場から読んでいるのだけれど、僧侶が書いたものを含めてその立場から書かれた本は残念ながらそう多くはない。