प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

善友

'26.02.07

類多きものは竭き難く
偶寡なきものは傾き易し

同志が多ければ尽きて倒れることはないが、少なければ傾いてしまう。

(性霊集『綜芸種智院式』)

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本日は、令和八年度の福楽寺厄除け薬師如来大数珠繰り法会です。

冒頭の言葉は、弘法大師が設立した日本初の「誰にでも入学資格がある学校」綜芸種智院について、自身が述べられた文章に出てくる言葉です。

助け合う仲間がいれば強くなるし、いなければどうしても折れやすくなってしまう。「私はひとりで生きている」と思っても、やはり人はひとりで生きているわけではありません。

釈尊(お釈迦様)の逸話があります。
弟子の阿難(アーナンダ)尊者が釈尊に、「善き友を得ることは、それだけでもう修行の半ばを達成したようなものでしょうか?」
と問われた時、それに釈尊が答えられた言葉は、
「素晴らしい友人、自分を高めてくれる善き友を得ることは修行の半ばではく、修行のすべてである」
でした。
それほど、同志、友人は大切なものです。

ただ、同志や仲間なら誰でも良いわけではありません。泥棒や詐欺師にも同志や仲間はいますし、遊びや暇つぶしばかりの付き合い、あるいはその人のお金や地位に群がるような人は「善き友」とは言えません。
善き友がいない時に、釈尊は「犀の角のようにただ独り歩め」とも仰っています。

いずれにしても、善き友は大切なものです。
そして、自分自身も他の人の「善き友」になる努力をしなくてはなりません。
善き友とは、もたれ合い傷を舐め合う間柄を言うのではなく、互いに「犀の角のように歩く」覚悟と自立心を持ちながら、その上で助け合い、いたわり合い、高め合い、思い遣りを持って付き合うことなのだと思います。

本日の数珠繰りは、このようなみんなの支え合いを象徴するものです。
読経の功徳を我一人のためではなく、みんなで「融通し合う」姿を表したものです。
数珠を回すことは読経の功徳、思い遣りの心を隣の人に渡し、それがまた隣の人に渡り、ひいては世界全体に広がることです。また、世界全体の思い遣りが隣の人から私に与えられることでもあります。
「厄、苦しみ」をみんなで支え合いながら共有し、仏様の功徳、読経の功徳で「恵み」に変えていくことです。

令和八年、旧暦だとまだ新年早々ということになります。
世情不安定な昨今ですが、いずれにしても私たち自身は穏やかで落ち着いた心で過ごせる一年になりますよう、思い遣り第一に過ごして参りましょう。