प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

十二支縁起

'20.09.09

波であるこの世界認識の構造である十二支縁起について。

龍樹菩薩『因縁心論』の所説を元にまとめていくと、まずこれら十二支は「惑・業・苦」の三つに大別される。つまり

無明・惑  行・業  識・苦  名色・苦  六処・苦  触・苦  受・
愛・惑  取・惑  有・業  生・苦  老死・

は「主客二分的な思考により、楽のみを求め執していく迷いの心のこと」で、この迷いの心を起こすことで、が働きはじめる。業にふたつあり、まずもっとも微細な「自他分別のわずかな思い」によって、行が起きる。行(サンスカーラ)とは三業、正確には「具体的な三業を引く根本的な無意識・盲目的な行為への傾向性」のこと。次の有は、そうやって徐々に強化された傾向性に支配された三業による「存在への確信」に基づく輪廻的生存の行為全般、を指す。この「行と有」の原因が、惑である。そしてそういう業の結果が、となる。「識・名色・六処・触・受・生・老死」というのは、五感や心に感覚的に触れた物事を客観的かつ確実に存在すると認識して執着し、それに楽を追い求めて結果として苦に至りながら、いつまでもある筈のないこの肉体や生活の諸々が手から漏れ落ち流れ去る現実に途方にくれて更に苦を深めていく事態の構造を示す。そうしてその苦の結果、更に心が混乱して無明を深め、新たなサンスカーラを形成して闇から闇へと、生死流転を繰り返していく。

この無限連鎖の構造を明らかに見て、その「非実在性」を明らかに知らなくてはならない。。

さてこの十二支縁起は、『大乗起信論』の三細六麁、五意・意識と対応する。

まず三細六麁では、

無明・行 … 無明業相
 … 能見相(主観)
名色 … 境界相(客観)

これが三細である。

六処(六入)・触・受 … 智相・相続相
愛・取 … 執取相・計名字相
 … 起業相
生・老死 … 業繋苦相
 

これが六麁。

これに五意・意識を加えると、

無明・行 … 無明業相 … 業識
 … 能見相(主観) … 転識
名色 … 境界相(客観) … 現識

そして、

六処(六入)・触・受 … 智相・相続相

のうち、智相が智識、相続相が相続識となり、以上で五意。

これ以下の、

愛・取 … 執取相・計名字相
 … 起業相
生・老死 … 業繋苦相

が、すべて「意識」に対応する。

これが無明から苦に至る構図である。

先にも書いたように、苦の結果として新たなサンスカーラを形成して、闇から闇へと生死流転を繰り返していく無限連鎖の構造を明らかに見て、その「非実在性」を明らかに知ることが、仏教においてもっとも大切な物の見方となるのである。