प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

思い遣り

'20.05.13

もし一法に住すれば即ち法縛を被って生死を免れず

もしひとつだけの教えにこだわれば、かえって教えに縛られて迷いから抜けられなくなってしまう。

(一切経開題)

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これは、いかなる宗派や宗教、思想であっても、それらは「言葉にならない真実」を強いて言葉に表現しているに過ぎず、それは例えて言えば、「言葉や概念で表現された教え」というものはどこまで行っても月をさす指、あるいは地図のようなものであって、必要だけれど、それ自体にこだわって執着してしまうと本質を見失ってしまう、ということです。

しかし現実にはその段階で留まってしまい、宗教的な言い争いや優劣論争が終わることはありません。

このようなことは、日常のあらゆる場面で見られます。

「自分の立場」「自分の考え」「自分の経験や知識」「自分の価値観」を中心に置いて、他者のそれが自分のものと違っていると、「そんなものは間違いだ」「それは価値がない」と思ってしまうことが、誰にもあります。

これは自己中心的な心と、想像力の欠如、そういうものに由来するのだと思いますが、これを自覚して謙虚になるということは非常に難しいものです。誰であっても、自分の考えや感覚、自分が属する狭い社会の「常識」だけが正しいと無意識のうちに考えていますし、自分とまったく違う考えや感覚には否定的な思いを抱いてしまうものだからです。

自分の考えや常識は、ひとつの立派なものです。しかしそれは他者にとっては「そうじゃない」と思われる考えかもしれません。逆もまた然り。

私たちはそういう個々の言葉や思想、常識や習慣に必要以上にこだわって執着するのではなく、いつも「それらが何のためにそうであるのか」「何がいちばん重要なのか」を考えなくてはなりません。

そうなると、もっとも重要なことは「思い遣りの心」で、誰も孤立せず、誰もが自由に、優しく穏やかに生きていくにはどうしたらいいか、ということなんだと思います。色々な考えをみんなそれぞれ持っていますが、基本的にはお互いに思い遣りながら生きていくこと。それが基本で、もっとも大切なことではないでしょうか。

その上で、それぞれの考え方や価値観をお互いに守って、それを否定されたりバカにされたりしない、まずは自分が自己中心的な心を自覚して想像力と思い遣りを持つ、そんな生き方をしていきたいものです。