प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

心と環境

'20.06.06

珠を持てば善念生じ 剣を把れば殺心の器

数珠を持てば善の心が生じ、刀剣を握れば殺意が起こる。

『宗秘論』

…………………………

心のコントロールというのは難しいものです。

それがなぜかというと、第一に心が目に見えないので「取っ掛かり、ハンドル」の場所がなかなか見つからない、ということです。ハンドル場所もわからない自動車を運転することは困難です。

次に、「自分の心」をコントロールしようとしているのもまた「自分の心」だからです。思うように制御できない自分の心で、果たしてうまくその同じ自分の心を整えることができるものでしょうか? とても難しいと思います。

だったらもう無理だ、心のコントロールなどできない、と諦めるべきでしょうか。決してそんなことはありません。

弘法大師の言葉に、「珠を持てば善念生じ 剣を把れば殺心の器」というものがあります。つまり人は環境によって心がどのようにも変化していく、ということです。心を整える方法は、環境を良くすることです。

しかし、数珠にしても刀剣にしても、目の前に転がしているだけでは無意味で、「それを手にとる」という行為は必要ですから、環境に受け身であってはなりません。また、刀剣しかない環境だからあきらめてはなりません。刀剣は手にとらなければ良いのです。そうして、数珠を探して手にとるのです。

ここで大切なことは、数珠や刀剣というのは「良い環境・悪い環境」のたとえですけれど、だからと言ってすべてを環境のせいにしてはなりません。本来、環境そのものに良いも悪いもないのです。ただ、様々な環境がある、ということです。

刀剣は殺生の心を引き起こし易いですが、良い用途に使うことも可能です。数珠は良い心を引き起こし易いですが、慢心を引き起こす場合もあるのです。環境がすべてではなく、その環境をどう良い性質のものと捉えて考えていくべきか、そこが大切です。

つまり、心をそれだけでコントロールするのは難しいのですが、今ある環境を利用して心を良き方向にコントロールしていく。「環境を良くする」というのは、環境じたいを変えてしまうということではなく、それをどう見て、解釈して、良き捉え方をしていけるか、ということなのです。

もちろん刀剣よりは数珠のほうが良いでしょう。しかし、刀剣しかない時もあります。その時には、その刀剣を立派に良く使えば良いのです。

そういうことを心がけていると、心そのものを扱って変えよう、コントロールしようという気持ちがなくとも、自然に徐々に自分の心がコントロールしていけるようになるものです。