प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

衣食住

'21.05.07

日夕に営々として衣食の獄に繋がれ 遠近に趁り逐うて名利の坑に墜つ

朝夕あくせくと衣食住に追われ、東奔西走して名誉を求めることは、落とし穴の底でもがいているようなものである。

「秘蔵宝鑰第一」

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衣食住は大切で、これがなければいくら人生の夢や理想を語っても、まさに絵に描いた餅でしかありません。

飢餓や貧困や戦争の真っ只中にある場合は、まず何を措いても水と食料、衣服や安全な居場所が重要です。
コロナ禍においても、東京や大阪を中心に飲食店が倒産、閉店の危機にあります。他の業種も厳しいですが、感染防止よりも、今日明日の生活のほうが大問題、という状況も垣間見えてきます。

仏教の修行や勉強ですら、ある程度の生活の安定がなかったら、集中してそれを行うのは難しいものです。

しかし、では満ち足りた社会や生活であれば万事うまくいくでしょうか。それだけで幸せになれるでしょうか。
実際、釈尊や弘法大師は、豊かな生活をすべて投げ捨てて、敢えて極貧の修行をされました。現代でも、本山の修行では決して安楽な生活はさせてもらえません。最低限の質素な生活です。

衣食住は、あればあるほど良い、わけでもないのです。
もちろん、必要なものは必要です。
ただ、自分の人生の意味や目的をよく考えて、必要なだけの衣食住を確保できたならば、所詮はかりそめに過ぎない現世限りのモノを「より多く」求めるのはやめて、手元にあるだけのそれを活かして、本当の幸せ、死んでも死なないこの大いなるいのちとは何かを知るための生活をしてみませんか?

その大いなるいのち、すべての人・生きとし生けるもの・宇宙ぜんたいが共有するいのち、それを知り、あるいは求めながら手を合わせる生活こそが「思いやり・慈悲」を生み、平和を生み、私達の人生を真に意味のあるものにします。
そうすれば、衣食住に困窮する人を見ても同じいのち、自然に助けなくては、という感情が湧いてきます。「自分だけが良ければ」という考えも起こらなくなってきます。
人々の心に慈悲が基盤となれば、結果として、誰もが最低限の衣食住を確保できる社会にもなるはずです。

仏様が教えておられる理想社会・浄土とは、決して別の宇宙にあるわけではなく、ひとりひとりの生活が思いやりに満たされ、大いなるいのちに包まれているとわかり、生きることに深い満足を覚えられる平安な人々の住む場所のことです。

そのような生き方ができるよう、コツコツ精進し、欲張らず満足しながら、大いなるいのちに包まれていることを信じる生活を心掛けて参りましょう。