प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

菩薩への礼拝

'20.05.10

私を信仰する人は、より以上に菩薩を礼拝すべきである。

『大宝積経(迦葉品)』

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すべての如来、覚者は菩薩から生まれる。
教師はみなかつて生徒であったのと同じである。

菩薩や生徒を如来や教師より劣ったものと考えてはならない。彼らから如来や教師は生まれるのであるから、菩薩や生徒は母も同然の存在であり、母体が粗末に扱われれば胎児にも影響があるように、常に菩薩や生徒をこそ大切に扱い尊重し、礼拝すべきである。

このことは、自分自身の心身についても言える。

例えば我々の心にも善い優れた部分と劣った部分がある。
仮に、自分自身の善い部分を如来、弱点やコンプレックスを(成長の余地のある)菩薩の部分としよう。

弱点、欠点、コンプレックスは排除されるべきではなく、まさにそれこそ如来の種、菩薩の菩薩たる条件である。そこからしか完成された心などは生まれてこない。
蓮は泥からしか咲かないようなものだ。

欠点を闇雲に抑圧・無視したり排除するのではなく(それは不可能だ)、その弱点を包み慈悲に転換しながら、我々は地道に菩薩行を歩かなくてはならない。