प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

苦楽を超える

'18.11.30

仏教の第一の目的とは、私達がみな平安に生きていくこと、に尽きます。苦楽ふたつながらに経験しながら私達は生きているわけですが、仏教では「一切皆苦」といい、一見したら楽しい、幸せだ…と感じる事柄も、よくよく考えたらすべて「苦しみ」にほかならない、と説きます。

なぜでしょうか。

仏教でいう苦にはきちんとした定義があります。四苦八苦と言われるのがそれです。

生老病死の四苦。

それに、愛する人と必ず別れなくてはならない苦、会いたくない者と会わなくてはならない苦、求めても得られない苦、この心身あることによる様々な苦、これを生老病死と合わせて八苦。

約めて言えば、「思い通りにならないこと」を仏教では苦と言います。

人生の一時期、お金持ちになったり、愛する人に囲まれたり、すべて思い通りにいくことがあるかも知れません。しかしすべてはいっときのもので、そのうち失われたり不和になったり、災害や戦争ですべて失ったりします。病気、老いは幸せを脅かし、そして最後にはすべてを手放し、ひとり死にゆくのです。
「人は死して名を残し…」と言っても、長いスパンで考えればそれもいつしか忘れ去られ、そのうち人類は滅び、宇宙も壊滅するでしょう。

これは楽観論でも悲観論でもなく、端的に事実です。

そのような苦に終始する現実をしっかり見極め、なおかつ生死も苦楽も宇宙をも超える、真実の楽とは何か、生命というものの真実は何かをずっと突き詰めて来たのが、仏教なのです。
苦は苦で終わるのではなく、その奥に光があり、私達はいつでもその光、ほんとうの幸せであることがてきる。それを示し続けて来たのが、仏教なのです。

仏教には思想と実践の両面があります。
どちらも偉大な先師方が命懸けで伝えられたものです。それを学ぶには、生半可な覚悟ではできないことですし、時間もかかります。
ただ、もっとも大切な最初の心構えは、今日、今すぐからはじめることができます。これが第一歩であり、これを意識して生きれば、いつか自然に必ず光を見出し、苦を超えていくことができます。

最後に、それを示しておきます。

■四無量心
慈・悲・喜・捨の4つの心。

■六波羅蜜
布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・般若波羅蜜の6つの修行の完成。

■十善戒
不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見の十の戒め。

詳しい内容は今日は述べませんが、この20項目がすべての基本です。ここから、苦を超えた真実の幸せがもたらされます。
これらを心掛けて、加えて実際に仏教の具体的な行と学に進むことが大切です。最初にこの心掛けがなかったら、いくら修行をして知識を積み上げても虚しいことにしかなりませんし、奢りや慢心が新たな苦を招くことになりかねません。
必ずまずはこの20項目。

そして具体的な修行には色々なものがありますが、基本的には「心を静めて仏様を想い、端座合掌し、真言を至心に唱えること」です。
真言には色々ありますが、光明真言をおすすめします。

光明真言についてはこちらの記事をお読みください。
https://fukurakuji.com/blog/1026
https://fukurakuji.com/blog/1054

この世の相対的な価値観・苦を超えることは可能です。苦楽を超えた本当の幸せ、本当のいのちの輝きとは何か、それを知るために、仏教の学びと実践をしてみませんか?
奥深く、一朝一夕にはいかないかも知れませんが、この人生の時間の一部を割くのに十分な価値があると私は確信しています。