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'13.02.11
五根の応用
仏教では五根といって示されるものが、ふたつあります。 ひとつは「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」で、感覚器官です。これは有名ですが、もうひとつ、覚分法としての五根というものもあって、それは「信根・精進根・念根・定根・…
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'13.01.08
猫と猿と馬
「猫の宗教と猿の宗教と馬の宗教」というのがあります。 猫というのは、親猫が子猫の首根っこをくわえて安全な場所まで運んでいきます。子猫はぶらーんと咥えられるだけ。一方の猿は、母猿の背中にしがみついて、その体勢で母猿は子猿を…
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'12.12.13
自己即如来即浄土
・質問 宗派によって読む経典や仏様が違いますが、よくわからない宗派の寺に行った時には、どうしたらいいですか? また、家族親族で違う宗派の場合、死んでから行くところは違いますか? ・答え ネットでよくある「質問サイト」を見…
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'12.11.20
老人会の法話
皆さんは「命あるものは平等である」ことを、本当に理解できているでしょうか。 「あいつが」「私こそ」という気持ち、あるいは誰かと比較して落ち込んだり羨んだり、いつも「私とあなたは別」ということを、無意識のうちに考えているの…
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'12.11.18
考えるということ
色々な事を知っている「物知り」「専門家」はたくさんいる。 情報を要領よくまとめる者もたくさんいる。 物事を整理してうまく仕事を采配できる人もいる。 どうしたら事態が打開できるか悩んでいる者もたくさん。 困ったり喜んだり迷…
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'12.11.03
aとbと…
僧侶としての本分で苦労するならまだしも、そうじゃない所での(くだらない)細かいトラブルの積み重ねは本当に疲れる。正直なところ、嫌になる。 まぁしかし、それを通して自分の至らなさを自覚できる部分ももちろんあるし、感謝すべき…
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'12.10.28
七仏通誡偈
仏教の最終的なところは結局どこに行き着くのか…と考えると、それは儀礼でも読経でも行法でも禅定でもないな、と。もちろん学問や僧俗の別や宗派というものとも違う。 今挙げた諸々の事は、結局は七仏通誡偈を実現するための過程でしか…
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'12.10.13
泥のまま
内村鑑三『求安録』に、以下のような文章があります(直接には教文館『一日一生』から抜粋)。 母の手から離れて泥中に陥った小児は、己を洗浄するまで母のもとに帰らないだろうか。泥衣のまま泣いて母のもとに来るのではないか。そして…
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'12.10.08
今
日本は今、政治・経済など色々と岐路にあります・・・なんてこと、随分と前から言われています。「最近の若者は~~」みたいな物言いと一緒で、きっといつの時代も「岐路」なんでしょう。 過去の諸々のことが今を形成し、今の諸々が未来…
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'12.10.06
臨終と通夜
仏教においては、寿命と体温はイコールなので、体温がある限りは生きていると考えます。つまり、何時何分死亡、ということは言えません。徐々になくなっていく体温を見守りながら、みんなでゆっくり見送るのであり、「いつ体温がなくなっ…
