प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

  • '11.08.28 暴力団と葬儀

    島田紳助が色々と話題になっていますが、この秋には東京と沖縄で暴力団排除条例が施行され、これで全都道府県で暴力団排除条例が行き渡ることになります。 もちろん日常生活で「密接に暴力団と関わりたい」なんて私も思っていないですけ…

  • '11.07.11 真如への道

    高野山でチベット式潅頂を行うそうです。 さて。 真如、あるいは実相、あるいは一大界、あるいは法界、あるいは一元的神…なんでもいいのですが、主客未分の絶対的全体を、仮に「ケーキ」だとします。 言葉は無言語・無分節的全体を切…

  • '11.04.18 バクティとカルマ

    ヒンドゥーにおいては、信仰・実践の形態に4つの方向性があるとされています。 ラージャ・ヨーガはいわゆる瞑想の道。 カルマ・ヨーガは行為の道。 バクティ・ヨーガは信愛の道。 ギャーナ・ヨーガは智慧の道。 これは仏教において…

  • '11.03.06 愛慾

    仏教では「無欲」を説くとされていますが、果たしてどうでしょうか。 俗に「人間の三大欲望」に、「食欲・睡眠・セックス」と言われます。 とりわけ前2者は、一週間もそれを断つと、死ぬかぶっ倒れます。一か月もやれば全員、死ぬでし…

  • '10.11.13 真言・マントラ

    真言・マントラというのは素晴らしいものです。僕はほとんど「mantra yogin」…と言うのは僭越で言い過ぎなんですが、自行の根底は真言念誦です。 さて、真言というのは陀羅尼→真言→種字と推移するだとか、密意語だから意…

  • '10.09.30 光明真言

    真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く 一字に千理を含み 即身に法如を證す 真言の力は不思議である。ひたすら真言を唱えているだけで苦悩が取り除かれる。なぜならば、真言一字の中には無数の意味が含まれ、この身に応じて真理が示…

  • '10.08.20 認知と解体

    たとえば、怒りの感情によって苦しむ人がいる。 その時、「慈悲の心を成長させなさい」という類いの応答をする僧侶や人が、案外、多いのではないだろうか。もちろんそれは間違っていない。正しいだろう。そしてまったく役に立たない正し…

  • '10.08.11 葬儀は誰のため?

    葬儀は生きている遺族の心のケアの為にするのだ…とか、「死」を残ったものが受容するための伝統的社会システムだ…とか、そういう言説がよくあります。 まぁ確かに、民俗学的に葬送儀礼を考察すれば、そうなるのでしょう。また、葬儀に…

  • '10.08.01 空の分別

    法には実も無く虚も無し 虚実の二迷ともに遣るが故に無虚無実と言う これはこれ真空の理なり 真理には実像もなく虚像もない。二辺の迷いを離れているから虚もなく実もなしという。これが空の理法である。 「一切経開題」 ………………

  • '10.07.20 維摩の黙雷

    真理とは客観的なものかどうか。 仏教において、純客観というものは存在しない。無明妄念の生起の端緒に、主・客の分別が起こる以上、客観は妄念による概念であって、それは決して真理ではあり得ない。もちろん主観的なものでは、更にな…